皮肉にも、現総理大臣の辞職を機に上がり出したかのように報道されていますが、何よりの大きな理由は最近の感染者の減少が見られたことにあることは明らかです。(以下の記事は今年の三月のときとほとんど同じ内容ですが、数字を現状に合わせています。)
人の痛みに敏感な優しい信仰者は、「新型コロナ不況で多くの人々が苦しんでいるのに、株価ばかりが上がって、この国はどうなっているのか……」と言っているかもしれません。しかし、一方で、「信仰者とは、神ご自身が『わたしがあなたの救いだ』と語ってくださることに信頼して、危険を冒す自由を持っている者のことだ」と言えるのかもしれません。
たとえば、あなたが地球温暖化の問題に大きな関心を持っておられるなら、その課題に取り組んでいる新興企業を捜し出して、資金的な応援をするというのは極めて効果的な働きになります。それができなくても、株式を上場している企業の中で、その課題に積極的に取り組んでいる会社を選んで、その株を取得するという動きが大きく広がれば、その会社は目先の損得勘定を超えて長期的な技術開発投資をすることができるようになります。
多くの日本人は、「株をやる」というような表現で株式投資を、ギャンブルと同じ次元で考えます。しかし、株式投資の基本とは、自分がほれ込んだ会社に、危険を覚悟でお金を投資するという極めて健全な経済活動に他なりません。1980年代にジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われていた日本が、この30年間あまり低迷状態を続けている中で、米国では次々と新しい産業や企業が誕生してきました。GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などと言われる大企業が独占的な地位を築いていると言われますが、これらの会社は誕生(または再生)してから20年も経っていません。リスクを取って次から次と新しいビジネスを米国は生み出してきました。それを支える投資家たちがいたのです。
最近の日本の株価上昇が、30年余り前のバブル相場の再現のように言われることがありますが、この間、ニューヨークダウ平均株価は約12倍になっていることをご存じでしょうか?(30年前のニューヨークダウ平均株価は2500ドルから2700ドル、それが現在は32,000ドルに近い水準)日本はこの間、バブル崩壊後の後遺症に悩まされて、多くの企業も内部留保ばかりを貯めてきました。また個人も「株にはこりごり……」と言った感じで、その有り余ったお金が、ゆうちょ銀行などに流れ、それが日本の巨大な財政赤字(GDPの約2.7倍)を支えています。
確かに現在は、経済の実態からかけ離れて株価が上がっているように見えることは確かですが、これは株価が異常に安く評価されていたことの反動高ということもできます。もちろん、牧師である筆者が、株価上昇予測を宣伝して、信仰者に証券会社を訪ねることを勧める気は毛頭ありません。株式売買手数料で稼ぐ会社と投資家の利害は相反することが多くあるからです(拙著「職場と信仰」に生々しい事例を書いております)。
株価の短期的な動きなど、どのような専門家も予測などはできません。しかし、現在、リスク資産と言われる株式投資ほど安定的な利回りを確保できる投資対象はないとも言えます。現在の上場会社の平均利回りは約2%前後を推移しています。これはたとえば複数銘柄の分散投資によって、合計で1000万円相当の株式資産を保有している人は、年間20万円の配当を安定的に得られていることを意味します。ところが、銀行の定期預金の場合は、同額を預けた人の利息はたったの200円にしかなりません。それでは、日本政府と日銀が、2%のインフレ率を目指していることを考えれば、かなりの確率で実質資産は目減りすることになります。一方、株価は長期的にはインフレに比例して上がります。また株価は短期的に下がることがあっても、健全な会社であるならば、ほぼ確実にいつか高値を更新します。
つまり、世界的な標準で見ても、日本の株は最も安全な投資対象になっているのです。それが証拠に、この30年間、外国人による日本株の保有比率が約5%から30%を超えるまでになっています。一方で金融機関の日本株保有比率は約40%から20%に下がってきていますが、これは株式持ち合いによる系列化の慣習が衰退したためと思われます。そして最近は、日本の個人投資家が株式市場にようやく積極的に入ってきて、株価を押し上げているという構造が見られます。いわゆる、1980年台後半に証券会社の主導で、一般企業までが「財テク」などと称して、株式投資に走ったバブル状態とは大きく異なります。
それにしても、昔、証券会社で株式投資を勧めていたことがある者として、あまり株式投資をバカにしてほしくはないという気持ちが私にもあります。今もたまに、「クリスチャンが株式投資をしても良いのですか?」という質問をいただくことがあります。それに対して筆者はしばしば、「ゆうちょ銀行にお金を預けるより、ずっと信仰的な決断だと思いますよ」と答えてしまいます。なぜなら、同行に預けられたお金はかなりの部分が、国債の購入を通して日本の財政赤字の補填に回るからです。現政権を批判しながら、お金の使い方をすべて、政権にお任せするという途方もない矛盾を多くの人は気づいていません。
それをするぐらいなら、コロナ禍で疲弊している文化活動や業種に、明確な契約関係で先行投資する道もあることでしょう。小さなことでは、応援したいレストランの食券をまとめて買うことだってできます。また前回述べたように、応援したい会社の株を買うこともできます。市場経済におけるお金の使い方、預け方は、選挙の投票にまさって、自分の意思を社会全体に反映させる有効な手段になります。それこそ、リスクを取るに値する行動です。
ただこれは、牧師である私が、株式投資を推奨するという意味では決してありません。株式市場はトランプのババ抜きに似ている面がありますから、個人投資家が株式投資に目覚めて、素人までが株を買い出す……という状況になって初めて、株価が天井を打つという過去の経験則があります。ですから、多くの人々が、現在の株高を異常と見ているうちは、株が上がり続ける可能性が高いのかとも思われます(これはあくまでも一般論です)。
米国のGAFAが急成長した背後には、リスクを取ってそれらの新興企業を応援する投資家がいたからです。そして、イノベーション(技術革新)が進むためにはリスクを負って、新しいことにチャレンジする人が必要です。私は基本的に株の短期売買は決してお勧めしたくはありません。しかし、日本や世界の将来を考えながら、「このような企業を応援したい、この経営者にかけてみたい、たとえ失敗しても悔いはない」と思えるような株式投資なら、それこそまさに、私たちの信仰の姿勢と合致するのではないでしょうか。
ダビデの生涯は、まさにリスクを積極的に背負ってゆくものでした。多くの子供たちが好きなゴリヤテとの戦いなどはまさに圧巻です。五つの滑らかな石を取って、石投げによって大巨人ゴリヤテを倒し、イスラエルに劇的な勝利をもたらしました。
ダビデの生涯で特に感動的なのは、サムエル記第一23章の記事です。ダビデはサウル王から妬まれ、命を狙われ、逃亡生活の中でした。しかし、ケイラという町がペリシテ人の攻撃を受けているときに、その町を救うために危険な戦いを買って出ます。しかしその後、ケイラにダビデがいるということを知ったサウルは、ケイラを包囲して、町の住民とダビデを同時に滅ぼそうと考えました。その意図が伝わると、ダビデはその町が攻撃の対象とならないように、自分が助けた町から抜け出て、再び荒野をさまようようになります。つまりダビデは、ケイラの人々を守るために二度も自分の命を危険にさらしたのです。
そのような中でダビデは詩篇35篇を記したのかと思います。ダビデは主に向かって、「槍を抜き 私に追い迫る者たちを封じてください。私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ』と」と祈りました (3節)。まさに、ダビデの生涯には、そのように、神に信頼してこの地でのリスクを積極的に背負う生き方が見られました。しかし、ダビデが家来の妻を奪い、その家来をだまし討ちにするという途方もない醜い罪を犯したのは、国が安定し、自分の評判を守ろうという態度になった時でした。ただそれでも、その彼が再び、その大失敗から立ち直って王国を安定させることができたのは、息子のアブサロムが謀反を起こした時、エルサレムを戦場にしないために、リスクを取って、潔くエルサレムを後にしたからです。ダビデはその時、人々から罵倒され、泣きながらオリーブ山を登りましたが、それによって再び神に救いを求めて祈る者へと変えられました。
ダビデは主に期待して、リスクを負った時、神ある勝利を体験しました。しかし、自分の評判を守ることを第一としたとき、恐ろしい罪を犯しました。株式投資の是非以前に、これを契機に、リスクを取る生き方を積極的に考え直してみてはいかがでしょうか?